運のいい人、悪い人
先日に引き続きポ-ル・ポッツさんの話です。
彼の誕生日をウィキペディアで発見しました。彼の誕生日は1970年10月13日でした。
さぞ運のいい人の運勢だと期待をこめて誕生日から命式を出したのですが、
驚く泣かれ、生年天冲殺、生月天冲殺、大運天冲殺と占いをする際使う5つある干支の窓のうち普段でも3つが使えない状況で、昨年はその上年運の天冲殺もあり4つが塞がっていました。
それなのになぜあの大幸運が巡ってきたのだろう?普通はそう思いますよね?
残ったもの陽占では十大主星の鳳閣星と十二大従星の天貴星。
鳳閣星はエンタ-テ-ナ-の星です。だから、かれの天職としての才能そのものずばり。
また家庭のところにありますから、家庭運も同時にとてもいいことになります。
天貴星は少年の星、若々しい活力の星です。
晩年期の従星ですから、きっと晩年まで若々しく活動するのでしょう。
また陰占で天中殺を受けていないところは彼の日干支で、丙火の寅です。
寅年の支合は亥年です。つまり昨年は支合の年に当たりました。
日干支の支合の年は通常特別な意味があります。
つまり天職が見つかったり、結婚相手に出合ったりすることが多いのです。でもそれは天冲殺でない場合です。彼の場合は天冲殺と支合がセットになっています。
しかしこれだけ盛りだくさんに命式に天冲殺を持っている人は普段から天冲殺の影響下にあるので、何も持っていない人に比べると天冲殺の圧力に強くなるようです。つまり天冲殺にもかかわらず、亥年になると彼は何らかの幸運を授かったという予測が立てられます。
それにしても5つの窓の内3つが閉じていて、4つ目もほとんど閉じていたにもかかわらず、彼がこの幸運に出会ったのはなぜなのでしょうか?
もう一度彼が出したCDのタイトルを思い出していただけますか?
ワン・チャンスとは彼がこれでだめなら歌をあきらめようと思った最後のチャンスでの成功を意味しているそうです。
失うものは何もない、自分にはこれしかない、これがだめなら諦めようと思った彼の純粋な心が、運命だって動かしてしまったのではないかと思うのです。
運のいい人に見えた彼は、運の悪い人の命式を持った人だった。
それじゃあ、そもそも運のいい人の命式があるかというと、これは結局こういうことが言えます。運のよかった人は運がよかった分だけ、負の運のリスクがあるということになります。
逆にいままで不運だった人は不運だった分だけ、幸運のチャンスを握っているということになります。
彼の場合は負の運のリスクを最初に支払ったから、残ったものが幸運だったのかもしれません。でも普通の人は大抵あと一歩のところで、諦めてしまうことが多いのです。
あと一歩。チャンスはあったのに使わずに終ることが多いのです。
残念ながら、それを見極めるのはとても難しいところです。
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コメント
こんにちは!
楽しそうなブログ、早速ブックマークいたしました
先日はひょんなところで
ばったりお会い出来てなんだか得した気分でした♪
運のいい人といえば私の友人です。
彼女の口癖は
「ほんとに私はラッキー!」と毎日事ある毎に言うのです。
そして確かにちょっとしたことのタイミングや
偶然が彼女のまわりでくるくると
助けたいかのように廻り出すのです!
そして彼女の日課は
毎朝仏壇に手を合わせる事!
半分イタリアになったと言っても良い程なのに
信心深いのです
(イタリアでは仏壇はさすがにないので
手を合わせているだけのようですが)
キョーレツな人ですが
0歳からの付き合いで(保育園から)
友達というよりも
半分血の繋がった人のようです(笑)
投稿: emisuna | 2008年9月 5日 (金) 12時28分