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2013年3月24日 (日)

天問

今から100年前の中国で、殷の時代の都(3500年前)があったところから、続々と文字が彫られた骨が見つかりました。 これで3500年も前に既に文字の文化があったことが確認されたのです。また何が書かれていたかを忠実に読み取った結果、当時の人々が、その骨をつかって占いをしていたことを突き止めました。

占いの仕方は、1)まず亀の甲羅や獣の骨に尖った刃物で占いたい文章を彫り、例えば雨が降るか、収穫が多いか、戦争に勝てるか等の問いです。2)骨の裏側にもぐさのようなものを詰め、火をつけ、3)熱でひびがはいる具合で、その答えを占ったそうです。

この占いの言葉を朴辞といい、この文章を集めたものが易経につながり、そして中国最古の詩集、詩経が生まれたそうです。

やがてこの北方地方の詩経の文化に刺激を受けて中国各地に詩の文化が広がりました。南方地方で生まれたのが楚辞といわれる、楚の国の歌です。人々は終わらぬ戦争に嘆き、不公平な政治や悪天候に嘆きました。

その中に楚辞の天才と呼ばれた屈原が生まれました。屈原の天問という長い詩の最初の一節を紹介します。

天問    

いわく、そのはじめ太古のことは 言い伝え誰がしたのか?

天と地がわかれないとき、そのことがどうしてわかる?

昼と夜さだまらぬとき、そのけじめ誰がつけたか?

もやもやと形もなくて、その見分けどうしてわかる?

やみはやみ、あかりはあかり その区別誰の仕業か?

陰陽が万物を生む、その変化なににもとづく?

天まるく九重というその形誰がはかった?

そもそもは誰のしわざで、そのはじめ作ったものか?

天の網どこにつながり、極と極どこにさだめた?

地の柱どこを支えて、東南はなぜ欠けている?

九重の(いくつも重なった)天の境はどこまでで、その先はなに?

天の隅いくつもあって、その数はだれがしらべた?

天と天どこで重なり、十二辰どこで分かれる?

十二辰(天球を天の赤道帯に沿って東から西へ12等分子から亥までしたもの)

日と月はどこにつながり、むら星はどうして並ぶ?

日は朝に谷から登り 夕暮れに地の果てに入る 

日の出から日の沈むまで通る道何里あるのか?

月はなぜ欠けて満ちることができるのか?

何のために腹に兎をいつまでもいれているのか?

女岐(中国の鬼子母神)は夫と一緒になることもなかったのに、どうして9人の子を持ったのだろう?

伯強(疫病神)はどこにいるのであろう?春の恵み深い和気はどこにあるのだろうか?

どこが閉じれば日が暮れ、どこを開ければ夜が明けるのだろうか?

東方の角宿の星(おとめ座)が出て夜明けにならぬまで、太陽はどこにかくれているのだろうか?

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