墓にまつわる話----シャスタ
2年前のシャスタ旅行、悪天候で登山が中止になり、僅かな希望者で洞窟見学に行くことになった。
ガイドさんから、ここは昔インディアン達が、獲物をさばいて、保管しておく場所と説明があった。見回してみると、ところどころ岩に茶色に変色した血のりの跡があり、空気もどこか獣の油のような感じがした。
奥へ奥へと前を行く人に遅れないように岩を登り、岩を下っていていくと、だんだん暗闇にも慣れてきた。途中に地上からの竪穴があってそこから光が差し込んでいる。
ここからさらに奥へと導かれ、そこからまた岩を登り、岩を下って、やっと人が座れるだけの大きな空間にたどり着いた。ここはガイドさんのお気に入りの場所で、折角だからここで、少し瞑想しようということになった。
目を瞑るとここで殺された沢山の動物の魂が闇の中から自分たちを見ている気がした。
ここは彼らの墓場だから、そんなところに勝手に踏み込んで来た自分たちをどう思っているのだろう。正直、気の小さい私はビビっていた。
心の中で動物さん”ごめんなさい”とつぶやくと、不意に違うよ、そうじゃない、”ごめんなさいじゃない”と聞こえた気がした。これは動物の声じゃなくて、ここにいる沢山の石たちのささやくような声だ。(前にも書いたかもしれないが、私は石からのメッセ-シを受け取る能力があるらしいのだ)
ごめんなさいじゃないなら、なんて言えばいいの?
”あ り が と う” えっ、ごめんなさいじゃなくて”ありがとう”???。そうか、ごめんなさいじゃ、だめなの。 そうか、ごめんなさいじゃ、彼らが空へ帰れないのね。ありがとうって言ってあげないとだめなのね。
インディアンの食物になってくれてありがとう。こんな私達を許してくれてありがとう。ここにいさせてくれてありがとう。 ”ごめんね”とまた言いそうになったが、無理にまた”ありがとう”と呟いた。
それから、一つ一つの闇にある魂に向かって”ありがとう”、”ありがとう”、”ありがとう”とつぶやき続けた。
”そろそろ行きますか”というガイドさんの声がした時、いつの間にか場の緊張が溶けた気がした。 まだまだ足りない気もしたが、ここに永遠にいるわけにもいかない。
また岩を登り、岩を下って、光の射すあの場所にたどり着いた時、目の前に沢山の泡のような光が見えた。それがとてもまばゆくて綺麗だった。あれっ?これって最初からこんな光だった?同行の友人たちに尋ねると、よく覚えていないと言う。
次の瞬間、泡のような光がうねって人の顔になった。それから蝶の形になった。なんだこれは?自分のみたものが信じられなかった。それから泡のような小さなオ-ブ達はあの竪穴から空に登って行った。写真を撮ろうとしたがシャッタ-は動かなかった。
同行者の内1人だけがシャッタ-を押せた。オ-ブが少しだけ残っているその写真はHPに掲載されている。
そして何事もなかったように、縦穴がぽっかり空いた。あの小さな粒のような光はもうどこにも見えない。同行の友人たちに今の見た?今の見たよね?と尋ねても、光の粒は見ていたが、オ-ブが作った顔や蝶の姿は見ていないという。
最初は何が起きたのかわからなかったが、闇の中にいたオ-ブ達は本当に空に昇っていったのだ。そして昇っていくその前に、”ありがとう”と私に伝えるために、あんな形を見せてくれたに違いない。
ちなみ普段オ-ブは私の肉眼では見えない。闇に向けてカメラのシャッタ-をきればオ-ブは映るが、肉眼で見たのは後にも先にもあの時が最初で最後だった。
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