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2013年10月

2013年10月29日 (火)

運命は心が決める

運命は心が決める

結婚の時期も、夢の実現も、最初に心が決めている。

チャンスが到来しても、まだ心が決めていないと、運命の輪は回らない。

そんなの、当たり前じゃないと言われるかもしれないけど、

私達はまずその人の心の場所が開いたかどうかを読む。

いくら条件がそろっていても、心が決めていないとなかなか実現しない。

残念ながら、まだ時期が来ていないのだ・・・

それでも周りの人はドンドン独立し、結婚して、焦ってしまうかもしれない・・・

正直に言おう、貴方は貴方が決めた時に従って生きているのだと。

流れに逆らってもうまくいかない。

なぜなら、自分で決めてきたことだから。

いろんなことがあっても、最後にああこれで良かったと思えるのが自分の決めた時だと思う。

だから迷ったら、貴方が最初に相談しなければならないのは自分自身、決して占い師ではない。

自分に向かって真摯に、今が本当にその時なのか? それだけを尋ねたら、きっと答えを出してくれるのではないかと思う。

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2013年10月28日 (月)

すべては、振動から

人は言葉を使って互いの気持ちを伝え合うが、言葉を持たぬ昆虫や植物はどうやって意思を伝え合うのだろう?

一説によれば、昆虫や植物は、匂いや光、そして、振動を使って自分の場所を確認したり、互いに意思の疎通を図っていると言われている。

例えば何千キロもの旅をする南米のチョウは前方にある大きな湖の存在も、台風の接近も察知しているという。その証拠に、大きな湖では途中で羽を休めて止まることができないから、湖の手前で追い風が来るまで何日も待っているらしい。 

また植物は危険を察知すると、特別な匂いを出したり、振動を使って害虫を防いだり、互いかばい合っているらしい。

人間が思っているほど、彼らは下等な生物ではないのだ。

私達の言葉も振動で成り立っていると言われている。言葉にはそれぞれ振動の値があって、それが言霊という名前で呼ばれているものなのかもしれない。

例えば毎日荒い振動の言葉ばかり使っていたら、疲れるだろうなぁと想像できる。汚れた振動なら、汚れてしまうかもしれない。

そうであれば、できだけ、綺麗な振動の言葉を聞きたいし、使いたい。巡り巡ってそれが、自分の健康や精神に影響してくると思えるから。

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2013年10月18日 (金)

墓にまつわる話----シャスタ

2年前のシャスタ旅行、悪天候で登山が中止になり、僅かな希望者で洞窟見学に行くことになった。

ガイドさんから、ここは昔インディアン達が、獲物をさばいて、保管しておく場所と説明があった。見回してみると、ところどころ岩に茶色に変色した血のりの跡があり、空気もどこか獣の油のような感じがした。

奥へ奥へと前を行く人に遅れないように岩を登り、岩を下っていていくと、だんだん暗闇にも慣れてきた。途中に地上からの竪穴があってそこから光が差し込んでいる。

ここからさらに奥へと導かれ、そこからまた岩を登り、岩を下って、やっと人が座れるだけの大きな空間にたどり着いた。ここはガイドさんのお気に入りの場所で、折角だからここで、少し瞑想しようということになった。

目を瞑るとここで殺された沢山の動物の魂が闇の中から自分たちを見ている気がした。

ここは彼らの墓場だから、そんなところに勝手に踏み込んで来た自分たちをどう思っているのだろう。正直、気の小さい私はビビっていた。

心の中で動物さん”ごめんなさい”とつぶやくと、不意に違うよ、そうじゃない、”ごめんなさいじゃない”と聞こえた気がした。これは動物の声じゃなくて、ここにいる沢山の石たちのささやくような声だ。(前にも書いたかもしれないが、私は石からのメッセ-シを受け取る能力があるらしいのだ)

ごめんなさいじゃないなら、なんて言えばいいの?

”あ り が と う” えっ、ごめんなさいじゃなくて”ありがとう”???。そうか、ごめんなさいじゃ、だめなの。 そうか、ごめんなさいじゃ、彼らが空へ帰れないのね。ありがとうって言ってあげないとだめなのね。

インディアンの食物になってくれてありがとう。こんな私達を許してくれてありがとう。ここにいさせてくれてありがとう。 ”ごめんね”とまた言いそうになったが、無理にまた”ありがとう”と呟いた。

それから、一つ一つの闇にある魂に向かって”ありがとう”、”ありがとう”、”ありがとう”とつぶやき続けた。

”そろそろ行きますか”というガイドさんの声がした時、いつの間にか場の緊張が溶けた気がした。 まだまだ足りない気もしたが、ここに永遠にいるわけにもいかない。

また岩を登り、岩を下って、光の射すあの場所にたどり着いた時、目の前に沢山の泡のような光が見えた。それがとてもまばゆくて綺麗だった。あれっ?これって最初からこんな光だった?同行の友人たちに尋ねると、よく覚えていないと言う。

次の瞬間、泡のような光がうねって人の顔になった。それから蝶の形になった。なんだこれは?自分のみたものが信じられなかった。それから泡のような小さなオ-ブ達はあの竪穴から空に登って行った。写真を撮ろうとしたがシャッタ-は動かなかった。

同行者の内1人だけがシャッタ-を押せた。オ-ブが少しだけ残っているその写真はHPに掲載されている。

そして何事もなかったように、縦穴がぽっかり空いた。あの小さな粒のような光はもうどこにも見えない。同行の友人たちに今の見た?今の見たよね?と尋ねても、光の粒は見ていたが、オ-ブが作った顔や蝶の姿は見ていないという。

最初は何が起きたのかわからなかったが、闇の中にいたオ-ブ達は本当に空に昇っていったのだ。そして昇っていくその前に、”ありがとう”と私に伝えるために、あんな形を見せてくれたに違いない。

ちなみ普段オ-ブは私の肉眼では見えない。闇に向けてカメラのシャッタ-をきればオ-ブは映るが、肉眼で見たのは後にも先にもあの時が最初で最後だった。

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2013年10月14日 (月)

墓にまつわる話---その後の消息

墓の話には後日談がある。

実は亡くなった親族は私の姪、姉の娘だった。姪は2011年9月東日本大震災が起こった同じ年にこの世を去った。葬式の写真は、薄桃色の成人式の振袖姿、まるで花嫁衣装のように綺麗で涙が止まらなかった。

姪は両親が旅行中に急病で倒れ、帰宅した両親が発見した時はもう息絶えていた。 姉も義理兄も、思いもかけない出来事で、しばらくの間眠ることも食事をとることも満足にできなくなった。

見かねて霊を降ろしてくれるチャネラ-のもとに姉を連れて行った。それは彼女がどんな気持ちで亡くなったかを知るためだった。私はセッションには同席せず、後から姉にその様子を教えてもらった。

姉の話によると、最初に亡くなった母が、姪の代わりに登場して、開口一番、”こっちのことは大丈夫、任せておいて”と伝えられ、それから”今回の墓の件は皆大賛成で大喜びしている”と言ってくれたらしい。(よかった、墓を勝手に撤去したことは何とか了解されたようだ)

母によれば、姪も向こうの生活に慣れてきたとのこと。(正直後で聞いて、えっ向こうにこちらの様な世界があるの?と思った)

何しろ母が亡くなったのは半世紀以上前の話。母はどんな様子をしていますかと尋ねたところ、チャネラ-から女丈夫みたいな、肝っ玉母さんという返事があったという。

その後やっと姪がばつが悪そうに登場してくれ、急に亡くなってしまったことを姉に詫びたとのこと。姉からも、何かしてあげられることはないかと尋ねたら、仏前の供花に昔ながらの菊の花束はやめてとのこと。可愛い花束にしてほしいと言う。

そうだった姪は何でも可愛いものが大好きな娘だった。ささやかなその我儘が姉は嬉しかったらしい。 そして久し振りに祖母の消息も聞いてくれた。

祖母は畑を耕していると言う。(えっ、マジですか?と私は思った)私達にエネルギ-を与えるための特別な野菜を育てているので、忙しいとのこと。 (そして、これってどんな風に我々のところへ届けられるのだろうと想像したらなんだか可笑しくなってしまった)

その日を境にして、姉は元気を取り戻して行った。私も姉から母や祖母の話を聞いて、嬉しかった。小さい時あれほど会いたいと思った人達の消息が50年振りに聞けたのだから。

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2013年10月13日 (日)

墓にまつわる話

墓の移転に関わる相談事が時々きますが、個人的な体験から、移転は本当に慎重にしてほしいと願っています。

まずは私の体験から、私の祖父はもともと浅草で印鑑や朱肉等を扱う店を手広く商売をしていましたが、戦争が激しくなったので多摩の親戚を頼って疎開しました。戦後都内に戻ってきた際に、多摩から谷中に墓を移転させました。

祖父は達筆な腕前でまた、風流を好む人で、自然石に特別な思い入れがあったようです。それで折角谷中に墓を持つのだからと、多摩から大きな自然石を取り寄せ、そこに自ら書いた文字を職人に彫らせ墓石の左前に並べさせました。

その後は私の家族のお話になります。やがて私が生まれ、次の年に弟が生まれました。弟は病弱で2歳になる前に亡くなりました。それから、母、父、祖父、祖母と幼い私達を残して次々に亡くなって行きました。祖父は死ぬまで、こんなことになった原因はあの墓の移動しか考えられない、もしかしたら多摩の墓地に遺骨を取りこぼして置いてきてしまったかもしれないと繰り返し言っていました。

小さいころからそう言われて、墓を動かすということは大変なことなのだと私は身にしみました。

一昨年親族に不幸があり、名字の違う親族も何とか同じ墓に入れたいと、墓を新しく建て直すことにしました。その時長年の悩みの種だった、あの自然石も古い墓石と一緒に撤去してもらうことになりました。

お寺の和尚さんにあの自然石の墓石も一緒に処分してくれませんかとお願いすると、そうですね、長年の私の経験ですが、自然石を墓石に使っていると絶家になりますからねとのこと。

え-、そんな大事な事なら、もっと前に言ってくれればいいのにと思わず和尚さんをにらみつけました。

納骨式の朝、気のせいでしょうけど、新しい墓が本当に光り輝いて見えました。ああよかった、勝手に自然石を撤去してしまったけれど、先祖も喜んでくれているのだと思いました。

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2013年10月10日 (木)

伊勢へ---浄化の旅

これでやっと伊勢旅行に行けるとうきうきと旅行社のパンフレットを取り寄せ、旅行の予約をしたのもつかの間、わずか2週間で早々とツァ-中止の連絡をもらった。

えっなんで?キャンセルになるようなツァ-じゃないじゃない。と怒ってみたが、しようがない。また振り出しに戻ってしまった。

ああでも、モノは考え様、今度は自分の本当に行きたい神社に行けるようになるためにツァ-旅行がキャンセルになったと思って、自力も悪くないからと、とりあえず名古屋までの新幹線のチケットを買い、何とか宿の予約をした。

無事9月が過ぎ、10月になり、もう明後日は旅行の出発日というところまできて、突然ぎっくり腰のような激痛に襲われた。実はその前日まで知人の依頼で、イベント会場で朝から晩までのべ20人位の鑑定をしていたので、多分、乗られたのだと思った。油断していた自分が悪い。いつもは持参する塩を昨日は忘れてしまっていた。

一時は息をするのも、寝返りをうつのも苦しくて、旅行を延期しようかと思ったが、ここまで来て行けなくなったら、先はもうない気がした。それに、パソコンを開けると浄化浄化という言葉が飛び交うのを見て、これは浄化のためにも行かねばならないのかと思った。そうだ、戻ってきてもいいから、何とか東京駅まで行ってみよう。

10月6日早朝、やっとの思いで起きて、東京駅に向かった。歩くスピ-ドは普段の2倍強も時間がかかり、電車に遅れないかヒヤヒヤしてしまう。幸い遠方から来る友人のために、電車の出発時間を少し遅めに設定してあったので助かった。

駅で友人と出会い、事情を説明して、辛くなったらいつでも帰るつもりで、新幹線に乗った。激痛は名古屋まで続き、そこから松坂へ向かった。松坂に着くころには痛みも少し軽くなっていた。何とかなるかもしれない。そして2時間に1本しか走らない特急バスに乗りやっとの思いで、瀧原宮に到着。Photo_2

辺鄙な場所の神社だから日曜日の午後でも人影はまばら。

背中の痛みは嘘のように軽くなった。何しろ普通の人と同じ速さで歩ける。

意気揚々とお参りを済ませると、本当に浄化された気分になった。

もう内宮や外宮に行かず、このまま帰っても私は満足だった。

その日の夜伊勢市に着くと、20年に一度の遷御の儀の直後の週末の参拝客の異常な多さの話を聞いた。無理もない、皆お浄めのために全国からやってくるのだから。きっと明日もかなりの参拝客に違いない。こうなったら夜明け前に行くしかない。

翌朝5時内宮に参拝。これが朝5時とは思えない人出。参拝が終わる頃はしとしと雨になり、雨宿りをかねて、おはらい町の赤福本店で朝食。

しかし今時朝5時からお店を開けているというのは凄い。Photo_4

午後外宮に参拝して帰途についた。

あれほど長い年月かかってたった2日間とはちょっと短い気もするが、今回は欲張らず、又来ればいいという気持ちになった。ちなみに、あれから背中の痛みを全く感じない。

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2013年10月 4日 (金)

波動

初めて人と出会う時、私は自分のハ-トの声に耳を澄ます。

そっと、その人に気付かれないように・・・・

聞こえる、聞こえる、その人の波動が・・・・

丁寧に年をとった方の波動は粉雪のようだ

さらさらと,とても心地よい・・・

きっと何度も、何度も、人生の試練という形の篩にかけられて

次第に繊細な波動にかわっていったのだろう・・・

波動は見えない

だから見えるものだけに目を奪われていると

本当の事がわからなくなる

荒い波動に振り回された一日の終わりに

自分に問いかける

きらびやかな外の世界だけに目を奪われていないか?

自分をなくしていないか?

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